赤い公園という4人組ガールズバンドでギター・コーラス・作詞作曲など担当していたつのまいさ(津野米咲)さんが、
29歳という若さで10月18日に亡くなっていたという出来事がありました。
警察はまだ死因を調査中ですが、部屋の状況から自殺ではないかといわれているようです。
また、津野さんはかつて疲労の蓄積を理由に休養していたことがあり、当時の歌詞が意味深だといわれています。
今回の出来事と関係はあるのでしょうか?
「赤い公園」津野米咲が10月18日に自宅で死亡する
津野さんは10月18日の午前9時頃、東京都内の自宅でぐったりしているところを発見されます。
仕事場に来ないことを心配した関係者が津野さんの自宅を訪れ発覚しました。
関係者は119番通報しましたが、搬送先の病院で死亡が確認されます。
部屋で遺書などは見つかっていませんが、部屋の状況などから自殺とみられています。
詳しい状況を現在も警察が調査中です。
津野米咲は亡くなる直前もラジオ収録に参加していた
津野さんは19日の夜に放送された、J-WAVE『SONAR MUSIC』にゲスト出演していました。
収録は16日に行われており、津野さんにとって最後の仕事となります。
「しゃべるのが苦手なときでも、ギターがあると楽しくなる」と番組内で音楽への愛を語っていました。
また、11日に放送されたテレビ朝日系「関ジャム 完全燃SHOW」に出演しています。
ツイッターは12日の投稿が最後でした。
津野米咲の経歴がすごい、SMAPや有名アーティストに楽曲を提供
つのまいささんは数々のアーティストに楽曲を提供していました。
中でも、SMAPの『Joy!!』という曲は記念すべきシングル50枚目となる楽曲で、津野さん自身も「歌ってもらえて幸せ」と語っていました。
ポップスが好きで、SMAPさんも研究してきましたから。本当に作りたい曲を作って、最高の人に歌ってもらって。ホントに幸せでした。
出典:日刊スポーツ
- 南波志帆:『ばらばらバトル』(作詞・編曲)
- SMAP:『Joy!!』(作詞・作曲)
- タルトタタン:『某ちゃん』(作曲)
- 竹達彩奈:『クレンジングラブ』(作詞・作曲・編曲)
- モーニング娘。’16:『泡沫サタデーナイト!』(作詞・作曲)
- YUKI:『風来坊』(作曲)
- 入野自由:『Sunny Side Story』(作詞・作曲)
・・・など、津野さんは多数のアーティストへ楽曲提供します。
最近では赤い公園の新曲『オレンジ』という曲が、三浦浦翔平さん主演ドラマ『時をかけるバンド』のOP曲に起用されていました。
さらに10月19日は、このドラマの地上波放送日でもありました。
来月11月にも新曲をリリースする予定だったといいます。
津野米咲さんをはじめとする『赤い公園』の活躍はこれからだったというのに、なぜこのような出来事が起きてしまったのでしょうか。
津野米咲さんは体調不良を理由に以前活動休止していたことがあった
4人組ガールズバンド「赤い公園」は、2010年1月に高校の軽音学部の仲間で結成。
2012年2月にメジャーデビューしますが、その半年後に津野さんは体調不良で活動を休止したことがありました。
活動休止の理由としては、医者の診断を受けて「過度の疲労の蓄積により、暫くの間安静が必要」との結論に至ったということでした。
というのも津野さんは他のメンバーより1学年上のお姉さんで、デビュー当時はまだ18歳。
作詞作曲を手掛け、バンドメンバーを先輩として引っ張り、疲労が蓄積したのも無理はありません。
しかし、翌年2013年3月には活動を再開します。
そして復帰後の2013年6月に発売されたSMAPのシングル『Joy!!』の作詞・作曲を手掛け、独創性を持つ21歳(当時)の天才として注目を集めました。
津野米咲の歌詞が意味深?「きっかけ」は活動休止期間中に書いた詞
津野さんは、自身の体験や考えを反映させて作詞をするようです。
津野さんが休止期間中に書いた「きっかけ」という曲の歌詞(2014年にリリースされます)は、
活動休止中だった当時に苦しんでいた津野さんの思いがつづられています。
もういいかな
心のこりも
なくなっちゃった若いままの私で
終えたいな
たったひとりの
遠回りは
まだまだ続く
今日を生きぬく
言い訳が欲しい
【たったひとりの遠回り】という歌詞は津野さんのバンドを引っ張っていかなければという気持ちを表していそうですね。
また、『赤い公園』は当初、高校の軽音楽部3人で結成されましたが、後から先輩の津野さんがサポートという形で入り、現在に至ります。
他メンバーと方針や練習量などは全く違ったでしょうし、苦労することも多かったと思います。
私は赤い公園に一番後に入ったのですが、3人は…ちゃんと練習してこない子たちでしたね(笑)。実は赤い公園に入る前、今のメンバーの中にキーボードとしてサポートで入ったことがあるんですよ。
出典:Beeast
バンド仲間より1学年上、作詞作曲も手掛けている、津野さんなりのプレッシャーがあったのかもしれませんね。
この歌詞から、津野さんは死を待ち望んでいたのでは?という声もありましたが、歌詞が書かれたのは約8年前。
津野さん名義で楽曲提供の活動をするなど仕事は順調でしたし、この歌詞と自殺の理由を結びつけるのは難しそうですね。
津野米咲さんのご冥福をお祈りいたします。